つなげよう!人と絆☆彡がん患者リレー・コラム

~がんを乗り越えて輝き続けるために~

 

自分が乳がんになった時、「乳がん」という言葉を1番聞きたくなかったのに、ついつい検索してしまうのは「乳がん」という言葉ばかりでした。時間ばかりがゆっくり過ぎてく病室で、ただただ先を考えるのが怖くて、誰か同じ病気をした人の経験を知りたかっただけだったのかもしれません。

 

自分たちの経験が誰かの役に立てばと大分県のがんの患者さんがこころよく協力してくださり8人目まで来ました。

 

大分県在住の方を中心に乳がんだけでなく全てのがん患者さんにバトンを渡してリレー・コラムを書いていこうと思います。

 

プロフィール写真なし、ハンドルネーム、イニシャルでの投稿も大歓迎です♪

下のコメント欄かお問い合わせにご連絡ください。


No.1 YURI NAKAZAWA(乳がん7年目・ピンククロス代表)

 

1.病気のプロフィール:小学1年生のママとして、皮膚科の医師として、忙しくも元気に毎日を送っていた34歳の時でした。お風呂に入っている時に、ふいに触れた左の乳房の外側に硬い違和感を感じました。まさかと思って恐る恐る触ってみるとゴリッとしたしこりがあるのがわかりました。30代になっていたのに、セルフチェックもしたことがなく乳がん検診も受けたことがなく、症状に痛みがなかったので、気が付かないうちにじわじわ進行していたんだと思います。

乳がんと診断され、左乳房全摘と左腋下リンパ節廓清。乳がんは浸潤部分を含めると9cm以上ありました(ステージⅡ)。転移は4個以上、HER2は+1、エストロゲンレセプター+、プロゲステロンレセプター+のため、FEC療法+ドセタキセル、胸壁と鎖骨上窩に放射線治療を行い、その後ゾラデックス注射とノルバデックス内服。7年目に入りにゾラデックスを注射を卒業して、ついにノルバデックス内服のみになりました。10年内服を継続する予定で、現在2ヵ月に1回うえお乳腺外科に通院しています。乳がん7年生ですが先日の診察で「再発もなく全く問題ない」とお墨付きを頂きました。

 

 

2.お世話になっている病院:うえお乳腺外科

 

3.闘病中一番つらかったこと:抗がん剤治療中の副作用です。脱毛で髪の毛、まつ毛、すべての毛が一気に抜け落ちました。吐き気がひどくつらくて家族に八つ当たりをしました。手足がしびれて普通に動くこともできませんでした。

38回にわたった放射線療法の日々の通院と照射台の上の冷たさ、隠せないマジックで書かれた照射ラインを見るたびに涙がこぼれました。

 

4.病気になる前後で変わったこと:健康な時には当たり前と考えていた命に限りがあることを知りました。再発は怖いですが、一日一日を大切に感謝しながら生きています。自分にも出来る事を何かしたい、残したいと考えるようになりました。乳がんになってから大切な仲間、同志、先生方に出会えたことが最高のプレゼントになりました。

 

5.自分にとって効いたこと:自分のペースに生活リズム(良質な睡眠、バランスのよい食事、適度な運動)を整えること。家族を大切に感謝すること。大好きな人を作りときめくこと(私の場合はゴスペラーズ!特に黒沢薫さんです♪)。

 

6.最後に闘病中の仲間へメッセージ:終わりの見えないつらい闘病生活には必ず終わりが来ます。でもつらいなら無理に乗り越える必要はありません。無理をしないで…できるようになってからでいいので、元気になったら、何をしたい、どこに行きたい、誰に逢いたいと夢をもって!!

 

 

 【平成27年10月16日現在】

 

No.2 Aさん(乳がん1年目)

1.病気のプロフィール:36歳で乳ガンになりました。

「授乳後の乳腺の詰まりがないか?」気にしていたので、夜寝る時に胸を触ってチェックしていました。

すると、ある日突然大きなしこりに気が付き「でもまさか悪いものではないだろう。乳腺の詰まりかな~」と軽く考えていて、しばらくそのままにしていましたので発見が遅くなりました。

治療は右乳房切除、リンパ節切除。ドセタキセル、FECとハーセプチン。放射線後ホルモン剤服用です。


2.お世話になっている病院:うえお乳腺外科


3.闘病中一番つらかったこと:食べる事が大好きだったので、味覚障害が一番辛かったです。特に香辛料が入ってる物が食べれなくなり、今だに辛い物が少し刺激が強く感じ食べる事が出来ません。とっても残念です(笑)


4.病気になる前後で変わったこと:「また今度しよー」と思うことが無くなり、「今度、次」はいつなくなるか分からないので、出来る時に出来ることを精一杯する!


5.自分にとって効いたこと:闘病中は気分が悪くてもなるべく動いて、治療の事を考えないようにしていたので、副作用も然程感じませんでした。


6.最後に闘病中の仲間へメッセージ:

終わりは必ずきます!

心も沈みずっとこのままだと思ってしまいますが、元の生活に戻れる日はきますので、今は頑張らずに、のんびりと、時間を大切に。

 

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:彼女の笑顔にいつも癒されながらも、どこからか湧きあがってくる熱い行動力に驚かされながら楽しい時間を一緒に過ごしています。これからもよろしく!

 

【平成26年11月9日現在】


NO.3 福永貴子さん(乳がん3年目・フィットネスインストラクター)

1.病気のプロフィール:乳がんには自分でも全く気づきませんでした。43歳の時健康診断の触診で左胸にしこりらしきものがあるので一度専門の病院で診てもらうように言われ受診しました。青天の霹靂でした。乳腺専門病院で再度マンモグラフィ、超音波検査、触診の結果検診の時に言われた左胸とは反対の右胸からしこりが見つかり、細胞診、針生検、マンモトーム生検を経て初期乳がんと診断されました。結果的に最初の診断は間違っていましたが、あの時専門医へ行きなさいと言ってもらえなっかたらと思うと・・・本当に幸運でした。検診がいかに大切かがわかります。その後、外科的手術(乳房温存術)、放射線治療を行いました。


2.お世話になっている病院:うえお乳腺外科


3.闘病中一番つらかったこと:大好きな運動(エアロビクス、ダンス、マラソン、ゴルフ)ができなかったこと。


4.病気になる前後で変わったこと:人生に対する考え方が変わりました。自分の寿命を産まれて初めて意識し「人生を後悔したくない」と強く思うようになりました。「やりたいことは全てやっておきたい」と思いコンテストに出たり、雑誌の読者モデルや広告のモデル、フィットネスインストラクターになる夢など様々なことにチャレンジするようになりました。


5.自分にとって効いたこと:入院中同じ病気と闘っている仲間の姿が一番の励みとなりました。趣味のビーズアクセサリーを入院中はずっと作っていました。お見舞いに来たお子さんにプレゼントしたり、良い気分転換になっていました(*^_^*)


6.闘病中の仲間へメッセージ:私は化学療法やホルモン療法もしていないため治療の本当の辛さを経験していませんが、「この病気はあなたの人生を変える神様がくれた機会だ」と思って欲しいと思います。苦しい治療を乗り越えた後は「前向きな人生を送るあなた」がきっといるはずです。その姿を想像して今は無理をせず、あなたらしく毎日を大切に過ごして下さい。

 

福永貴子さんのブログ: Health&Beauty今できることを楽しみながら。。

 

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:彼女を初めて知ったのは私も通院しているうえお乳腺外科の待合室。そこに掲示されていた大分合同新聞でした。輝く彼女の笑顔に吸い寄せられ一気に読んだ記事の中で、とても勇気をもらったのを昨日のように覚えています。彼女と一緒に体を動かしたいあなたは【ホルトホール大分 ヘルスアップルームZUMBA教室 毎週金曜日 20:00~21:00】で逢うことが出来ますよ。


 

-------------------------------------------------

 

以下抜粋です。


30歳以上の女性が健康美を競う第1回「モムチャンジャパンコンテスト」の最終選考会場。ステージに立つ福永貴子さんの胸には、乳がんの早期発見・治療を呼び掛けるシンボル「ピンクリボン」がひときわ輝いていた―。自ら乳がんを経験。「検診の大切さを訴えたい」と主婦業の傍ら、女性誌の読者モデル活動を通して啓発を続けている。体を動かすのが好きで毎日のジム通いを楽しんでいた昨年、検診で初期の乳がんが見つかった。「まさか私がと頭の中が真っ白になり、じわじわ涙があふれた」と振り返る。 一時は悲嘆に暮れたが、入院中に同じ病気の女性たちと出会って気付いた。「みんなそれぞれの立場で逃げず、がんと正面から向き合っている」。健康であることのありがたさや命には限りがあることを初めて実感し、「何にでもチャレンジして悔いのない人生を送ろう」と決めた。 その一歩が、アジアでブームを巻き起こした「モムチャンダイエット」の考案者で、憧れの存在でもあるチョン・ダヨンさんが審査員を務めるコンテストへの出場。予選を勝ち抜き、他のファイナリスト4人と共に最終選考会に臨んだ。 「治療を頑張っている人や手術を前に不安な気持ちを抱えている人にエールを送ろう」という思いを胸のピンクリボンに込め、パフォーマンスを披露。ブログには、乳がんになって感じたことや、フルマラソンでの完走、フィットネスダンスのインストラクター資格取得をはじめ、大分の食や温泉についても楽しくつづっている。シャイな性格で人前に出るのは苦手だったが、「多くの女性が検診を受けるきっかけになればうれしい」と話した。

 

-------------------------------------------------

 

【平成26年11月21日現在】


 

NO.4 Yさん(悪性リンパ腫20年目)

1.病気のプロフィール:高校1年生の頃膠原病(シェーグレン症候群)発病。

その後30代に入り体調不良が続いていましたが、33歳の時に高熱と激しい悪寒のため病院へ行き悪性リンパ腫と診断され、自家末梢血幹細胞移植。


2.お世話になっている病院:アルメイダ病院にて治療後、5年間通院。今は通院なし。

 

3.闘病中一番つらかったこと:抗がん剤の副作用、吐き気、体の痛み、脱毛(全て)。

無菌室の閉ざされた空間で一人、誰とも、5歳、3歳の子供とも会えなかった事。

 

4.病気になる前後で変わったこと:人は「生きている」のではなく「生かされている」ってことを実感しました。これを機に変わったと思います。私にとって「病気(闘病生活)は人生最高のプレゼントだった」と、「神様が人生の休憩、考える時間をくださった!のかな?」と今は思っています。闘病中支えてくれた家族、友人、20年たった今でも感謝は忘れません。あの時間がなかったら、今の自分(生き方)はなかった。今だから言える、あの時間に感謝です。

 

5.自分にとって効いたこと:病気前はあれもこれもと、完璧にしなくてはと頑張っていました。

闘病後からは、「今、今日出来る事を一つ、時間にも人生にも焦らず欲張らず」をモットーに!

一日を終え、自分の布団の寝れることの嬉しさは今でも・・・

声をかければ家族の声、存在もそこに。

平凡な毎日、あたりまえが、本当に感謝、感謝です。

 

 

6.最後に闘病中の仲間へメッセージ:辛い辛い闘病生活を経験してきた私たちにしか得られないこと、見えたこと・・・それを宝物に、夢と希望、感謝をもって焦らずに頑張って下さい。

皆さんも人生の次のステップの為に!!

 

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:私が闘病中にウィッグを被りながら仕事をしていた中で出会ったYさん。

「大丈夫。小さい子供を残しては逝けないと言うお母さんの気持ちは病気よりも、がんよりも一番強い!」と何度励まされたことか。彼女がいなかったら今の私はないし、このリレー・コラムをしようと考えたのも病気に打ち勝った彼女の存在が私を励まし続けてくれたことが一番のきっかけになりました。

親しい友人たちも口を揃えて「あの人が一番病気に見えない」と言うほど、悪性リンパ腫を克服し、行動力と愛と美にあふれる女性です。

 

 【平成26年12月2日現在】

NO.5 J.Fさん(乳がん27年目)

1.病気のプロフィール:45歳の時にお風呂で左胸にしこりがあるのに気づきました。まさかと、血の気が引く思いでした。井原先生(元大分県立病院外科)に紹介状を書いて頂いて大分県立病院で検査、乳がんと診断。左乳房とリンパ節を摘出。月のうち半分飲んで半分はお休みというお薬を1年間飲みました。手術して27年になります。今は1年に1回成人病検診センターで検査をしております。


2.お世話になった病院:大分県立病院乳腺外科、うえお乳腺外科、井原先生。

 

3.闘病中一番つらかったこと:病院で毎日泣いていました。大好きな水泳ができなくなると…そんな私を見て看護師さんが乳がんになった人のための下着、水着を扱っているワコール・リマンマというものがあると教えてくださり、退院してすぐに水着を注文しました。手術して1ヵ月後にはプールに行き泳いでいました。左胸を全摘出しているので背泳ぎの時バランスをとれなくなっていて大変でした。術後すぐから水泳をしたことにより、いいリハビリになったようで、左腕のシビレ、麻痺、浮腫もだんだんなくなっていきました。その後も、大分県マスターズ水泳競技大会に10年出場しました。クロール(25m)で金メダルを取り嬉しくて診察の時にメダルを先生に見せました。先生も、とても喜んでくださりました。「皆、手術の後、大事にしすぎて、動かさないとダメなんだよな~」とおっしゃっていた、その言葉がとても心に残りました。今でも週に2回泳いでウォーキングしています。もう35年泳いでおります。水泳がなかったら今の自分はなかったと思います。73歳になりますが、コンビニで早朝5~8時までアルバイトしています。元気でいられるのは、乳がんになっても、乳房を全摘しても…あきらめずに長年水泳を続けてきたおかげだと感謝しています。

 

4.病気になる前後で変わったこと:まさか自分が乳がんになるとは思ってもいませんでした。大切な友達、先生方に励まされ元気になっていきました。検診は1年に1回必ずしております。乳がんをしたことにより、いろいろな事を学び感謝!ありがとうです!!

 

5.自分にとって効いたこと:何度も言いますが本当に「水泳が出来たこと」が私にとっては一番の喜びでした。今では手術したことを忘れることの方が多いです。がんになってもあきらめずに好きなことを続けてください。

 

6.最後にメッセージ:検診は必ずしてください。何もなかったらよし!でも、もし乳がんだったら…今は医学も進んでいますから、安心して治療が出来ますよ。35年前は、誰も相談する人がいなかったので、乳がんにかかってしまった事を隠していました。左の乳房がなくなり、すごくコンプレックスもありました。今は慣れたこともあり、温泉にも行って楽しんでおります。

 

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:いつも笑顔を絶やさないひまわりの花のようなJ.Fさん。当時は乳がんの患者さんもめずらしく、術後すぐにリハビリをする方も少なかったそうですが、初めは涙を流しながら水泳に復帰したい一心でとにかく頑張ったそうです。術後27年もたって元気な姿を見せてくれる彼女は、私にとっても憧れの存在!大先輩です!!

 

 【平成27年2月25日現在】

NO.6 洋子さん(乳がん2年生)

1、病気のプロフィール:42歳の夏、右の胸にしこりがある事に気づきました。

2年前職場の健康診断では異常なしでした。

看護師という職業柄これは…と思い、現実を受け入れるのも怖く、病院受診したのは2カ月後でした。

女性の先生が良いと思い、また入院を考えると自宅から近い方がと考え鶴崎のオアシス乳腺外科へ受診。 一通りの検査後、『次は家族を連れてきて』と。私はシングルですし、両親に今はまだ伝えられなかったので、姉に同伴してもらいました。私も、姉も顔色ひとつ変えず先生の話を聞きいれ、姉ったら、『切ってください』の一言。

オアシス乳腺外科では手術しないので大分医療センター外科へ紹介、オアシスの先生が執刀し、医療センターの先生と手術でした。

 

女の先生選んで行ったのに、結局若い男の先生で…。

10月10日5時間かけ右乳房部分切除、リンパ郭清。

術後3日目熱発し、なんとMRSA発症。

2ヶ月間個室に隔離状態でした。

年末化学療法開始、嘔吐が酷く全く食べれず、飲めずで結局ケモの日は1週間毎回入院でした。

もともと皮膚も弱いので放射線治療も一苦労。

現在ノルバデックス内服治療中。2ヶ月に1度の病院受診で、病人じゃない程元気です。


2、お世話になっている病院:初診…オアシス乳腺外科 田島裕子先生(今は北九州の病院)

大分医療センター外科 多田先生(今はどこだろう?)➡高山洋臣先生 (大分医大大学院)➡田原部長


3.闘病中一番辛かったこと:2ヶ月間の個室。

担当先生が次々に変わったこと。

次女の高校入試と重なり、何もしてあげれなかったこと。


4.病気になる前後でかわったこと:仕事柄人の死にはたちあってはきましたが、自分の死については全く考えていませんでした。ガンと言う病気になり死について深く考え、今はエンディングノート書いてます。

今は訪問看護として働いていますが、在宅での最期を考えている方も沢山います。そのような方々に私ができる事しっかりやって行きたいと思います。

また次女が、人見知りで人前で話すなんて…と感じでしたが、私の入院中、中学で文化委員長をつとめ、文化祭では沢山の生徒、保護者の前でしっかり挨拶をしていたことですね。

外出許可をもらい観に行きましたが、子どもの成長に思わず涙しました。

そして、生きなきゃと強く思いました。


5、自分にとって効いたこと:入院中、ガン友が沢山できました。

乳がん、胃がん、肺がん…今でも連絡を取り合っています。

私も初めて髪が抜けた方をみて、自分もあんな風になるんだと現実をみて、落ち込みました。

それを乗り越えたら、開き直り前向きになれました。

その姿を看護師さんが見ていたらしく、ガン友のメンタルケアを任せられ、みんな明るくなりました。

今では、もっとメンタルケアの勉強をしたいと思い、資格取得に頑張ってます。


6、最後に闘病中の仲間へメッセージ

現実はなかなか受け入れられなく、辛い治療もあります。でも、1人じゃないから、1人で悩み、閉じこもらないで、経験者の声聞いてほしいです。

脱毛も避けれません。が、シャンプーが楽だし、ウイッグも普段出来ない遊び用も用意したり楽しめます。

 

 

 

 

【白血病経験の看護師さんより】

病は気から…と言われました。

乗り越えられない壁はみんなで乗り越えましょう。

私はいま、ママ友や幼馴染とランチに行ったり、娘とジャニーズのライブに行ったり楽しんでます。

病気になって家族、友達との絆は強くなりました。

少しでもみなさんの力になれるよう、勉強頑張ります!

 

 


7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:実はまだFacebook上でのがん友でリアルにはお会いしたことがないのですが、がん友というだけで同じ勇者である結びつきを強く強く感じています。この文章を読んでわかっていただけたように、とても優しく温かいのに、強さを感じる「ひまわりの大輪の花」のような女性です!!
彼女のがん患者として、看護師として、患者さんに寄り添っていくメンタルケア一緒に応援してきたいと思います。

 


 【平成27年3月2日現在】

 

NO.7 I.Fさん(乳がん6年生)

1、病気のプロフィール:53歳で乳がんになりました。左乳房の陥没が気になりつつ、検診で異常がなかったこともあり、そのままにしていて発見が遅くなりました。

治療は左乳房切除、リンパ節切除、抗がん剤。
現在はホルモン療法、アロマシン服用中。2か月に1回通院。

 

2、お世話になっている病院:うえお乳腺外科

 

3.闘病中一番辛かったこと:抗がん剤による吐き気はあまり無く、やはり脱毛。

母(6年前に他界)が子宮がんで抗がん剤治療中に脱毛した際、私は「また生えてくるから・・・」と他人事のように言いましたが、自分が同じ立場になって初めてつらさが解りました。

当時、大学生だった2人の息子達が帰省の際に丸坊主にして、慰めてくれたのには涙が出ました。

 

 

 

4.病気になる前後でかわったこと:私の50代は、母の介護、自分の乳がん、娘の受験、母の他界、祖母の他界、父の介護、父の他界、主人の退職、息子達の就職、息子2人の結婚、娘の就職、弟の他界、初孫誕生と目まぐるしい日々でした。

でも、その間にも、ハワイ旅行、娘の中国留学を機に万里の長城 健脚コース(男坂)八達嶺長城制覇し、自信をつけ、シンガポール旅行と楽しい事もありました。

 

何もかも自分で抱え込まずに頑張りすぎず、まわりの人に甘えることも大事だと思いつつ、家族、友人に感謝の気持ちを忘れずに、やりたい事は後まわしにせず何でもトライしようと思っています。

 

 

6、最後に闘病中の仲間へメッセージ:

今はつらいけど、神様がくれた休みだと思ってゆっくり、あせらずに時間を過ごして下さい。

悩みを抱え込まずに、がん友を作って下さい。

私は、仲間にずっと支えられ励まされて、今日まできました。

 

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:家事、子育て、介護と大切な家族を守るために多忙な日々を過ごしていた時に分かった乳がん。言葉では言い尽くせないほどに、どんなに大変だっただろうと胸が痛みます。

でも、「大丈夫だよ」と言ってくれる彼女の笑顔やバイタリティーは、乳がんになっても決して終わりではなく、あきらめないでいれば楽しい時間がこれからも過ごせることを教えてくれます。

 

 【平成27年9月14日現在】

NO.8 弓恵さん(乳がん1年生)

1.病気のプロフィール:毎年受けていた検診で乳がんが見つかりました。今までよく良性の繊維腺腫ができていたので、今回も同じものだろうと思ってあまり心配をしておらず、乳がんという結果が出て、ビックリしました。2016年、37歳の時に告知を受け、手術。非浸潤、ステージ0で発見する事ができ、転移もなく、右胸乳腺全摘手術と、同時に乳房再建手術を受けました。抗がん剤などの薬物治療はありませんでした。
2.お世話になっている病院:うえお乳腺外科
3.闘病中1番つらかったこと
乳頭の血行が悪くなり、ダメになってしまったこと。乳房再建が終わった後に乳頭再建手術も受けました。
4.病気になる前後で変わったこと:美味しいものを食べる事、楽しい事、好きな事、大切な人達と過ごす時間、病気になる前は当たり前だと思っていた事が、とても幸せに感じるようになりました。
5.自分にとって効いたこと
家族、親戚、友達、パートナーの存在。
入院中、同じ病気と闘っている仲間との交流。
あと、入院中、朝ご飯の時間に見ていた朝ドラが新しくなり、主題歌が大好きなMr.Childrenの新曲になった事。
    過去は消えず
    未来は読めず
    不安が付きまとう
    だけど明日を変えていくんなら今
という歌詞をきいて、
乳がんをきっかけに、明日を変えていけたらいいなと思いました。
6.闘病中の仲間にメッセージ
乳がんの告知を受けた時は、これから自分に起こる事を想像して、途方に暮れました。どうか夢であってほしいと何度も思いました。がんを告知された方は、みんなそんな風に感じると思います。しかし先日、乳がん経験仲間と食事会をして、乳がんをする前と後で、失ったものと得たものを書き出したら、得たものの方が多かった!という話になり、本当にその通りだ!!と、乳がんをしなければ出会う事のなかったメンバーで、泣いて笑って、楽しい時間を過ごしました。辛いことばかりではなくて、笑顔になれることも、嬉しいことも、楽しいことも、この先には待っています。未来を見据えて、無理はせず、自分を信じて、先生を信じて、治療して下さい

7.ピンククロスより彼女へのメッセージ:実は彼女は小さいころから私の大切で大好きな人です。私のピンクリボン運動も形になる前から、そして自分が乳がんで入院中の時までずっと応援してくれていました。自分よりも、誰かを大切にする・・そんな彼女がまさか私と同じ病になるなんて・・自分の時と同じくらいにショックを受けました。でも、私も乳がんを経験して元気に過ごしている、だから彼女も絶対に大丈夫!!と確信しました。今、彼女は私が思った通りに、闘病を経験し、以前よりも芯が強く、そして輝く笑顔で毎日を過ごしています。これからもよろしく!

 

 【平成28年8月23日現在】

コメント: 0